(絵:そねたあゆみ)
●そして農耕と牧畜が生まれた
地球人口が400万人を迎えたあたりで、ヒトは革命的な発明をします。それは植物を栽培すること。つまり農業です。それが約1万年前。ほぼ同時期に牧畜もはじまりました。
農耕と牧畜は、人類史にとって革命的な出来事でした。それまでのおおらかな生活から、額に汗を流して大地を耕すという『労働』がはじまったのです。
田畑があるということは。その土地を守らないといけません。額に汗して育てている作物を、野生動物や勝手にやってきた他の人間に荒らされてはたまったものではありません。
牧畜もそうで、一生懸命育てている家畜を、野獣や人間に狩らせるわけにはいかないのです。彼らは武装したり柵で土地を囲うなどして、動物や人間に備えるようになりました。
農耕は、作物の『余剰』を生みます。自分たちが食べる以上に作った作物は、他の作物と交換するようになりました。
狩猟採集民のように、移動しながら生活するわけではありませんから、人が集まり住む部落ができやがて村になり、町もできるようになりました。この過程で狩猟採集時代になかった貧富の差が生まれたといいます。そして食糧は自分で捕りに行かなくても、村や町で手に入るようになったのです。
●精密化する料理
狩猟採集をやめて農耕や牧畜をはじめて、人類の生活が楽になったということはありません。
前述したように、毎日畑や牧場にいって朝から晩まで働かねばならなくなりました。また、職業の分業もはじまりました。家作りが得意な者は大工に。料理が得意なものは料理人にといった具合にです。人々を支配する王が生まれ、奴隷が生まれました。5000年前、いまの中東地域、イラクのあたりにはじめの文明が生まれます。
多くの人類学者は「人間は料理をするようになってから人間になった」といいます。狩猟採集時代から人々は、炉を作ったり、大きな葉でいろいろな食材を包み、焼いた石の上に置き、さらにその上に土をかぶせる蒸し煮を作ったりしていました。前回述べたようにクッキーやパンを作ったり、獲物の内臓を抜き、そこに野菜や香辛料を詰めた料理も作っていたのです。しかし狩猟採集をやめ、町に定住するようになると、いろいろな食材が町に運ばれるようになります。
3000年前とされる古代エジプトの壁画に、大きな鍋でフライを揚げている絵が残っています。つまり大量の油で大量のフライを揚げているわけで、もちろん家族で食べるためではないでしょう。商売でフライを売るなりする専門家がいたということです。お酒も大量に作られるようになりました。最初のお酒はワインともビールともいわれています。
いまから5000年前、古代エジプトではピラミッドが作られましたが、その報酬はなんとビール! なんでも当時の庶民にとってビールは10日1度くらいしか飲めないのに、ピラミッド作りを手伝うと、毎日ビールが飲めると、庶民は張り切ってピラミッド建築に参加したんだとか。
そのビールも近くにビール工場があって、毎日運ばれていたそうな。5000年前の働く人たちも、現代と同じく働いた後にキューっと一杯やってたんでしょうね。
農耕と牧畜によって余剰が生まれ、さらに町や都市ができ職業が分業となると、塩だけを生産する人たち、蜂蜜を養ったり集める専門家、いろいろな種類の作物が町や都市に集まってきます。
いろいろな食材を組み合わせる精密化した料理が作れるようになりました。料理道具としても、フライパンやオーブンもありましたから、近代的な料理が文明の発祥時からあったと思って間違いはないでしょう。
●弥生人の食文化が和食の原点
遠い古代メソポタミアや古代エジプトの話しでは、やはりあまり身近に感じられないかも知れませんね。
日本では紀元前4世紀ごろから紀元3世紀ごろの弥生時代が、農耕のはじまりとされています。もっとも、その少し前の縄文人たちも、稲作などの農耕をやっていたのではないかという説が有力になりつつあるようです。
それはさておき、本格的な稲作を日本に持ち込んだ弥生人。弥生時代にはコメの他に、コムギ、アワ、ヒエ、アズキなどの雑穀が栽培されていたことがわかっています。
縄文人から弥生人への食文化的変化は、主食と副食が生まれたことでしょう。米、麦といった五穀が主食。その他のおかずが副食です。それまで主食副食という考え方はありませんでした。これは欧米もそうで欧米には主食副食という考え方は、あまりありません。
この主食と副食、ごはんとおかずという食文化が後の和食の原点となります。日本人独特の食事の仕方に「口中調味」という方法があります。
ごはんと副食を口の中に入れて噛みしめ混ぜ合わせる食べ方ですが、この食べ方は欧米はもちろん、中国や韓国にもないのです。
あくまで推測ですが、日本人独特の「口中調味」は、弥生人たちが発見・発明した食べ方なのではないでしょうか?
日本は瑞穂の国、瑞穂とはみずみずしい稲穂のことで、日本人にとってコメは特別な食べ物であり、そのコメとおかずを美味しく食べる方法として、口中調味が生まれたのだと思うのです。
(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2018-09