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「名字」(家名)と「氏」(本姓)

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2015-05-03 一般によく、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」って言い方をしますよね。実はこれ、間違いというわけではないのですが必ずしも正確というわけでもないんです。なぜなら家康が名字を「松平」から「徳川」に変えたと同様に、秀吉も名字を「木下」から「羽柴」に変えて最後は「豊臣」になったと思っている人が多いのですが、実は秀吉の名字は死ぬまで「羽柴」のままで変わってないんですね。どういうことかというと、明治になって区別がなくなるまで、本来、武家には「名字」(家名)と「氏」(本姓)という二つの「姓」があったわけです。
わかりやすく言うと武士の初期と言えば平家と源氏が有名ですが、その、平、源も代を重ねて枝分かれしていくとやはり、ただ、「平」、「源」では誰だかわからなくなってくるわけです。で、本来の姓と別に住んでいる所の地名を名乗ったと。源義仲さんは「源」だけど、それだけじゃ、どの「源」だかわからないので便宜上、本来の姓と別に「木曽」と名乗ったんでしょう。武田、足利、新田、佐竹、皆然りです。(私が子供の頃も、親戚のおじさんたちは名字と別に住んでる場所の名前で呼んでましたよ。)ところが、この論で行けば、逆に名のある武士は皆、当然ながら名字と別に源、平、藤原、橘といった自らの出自を表す姓がないとおかしい・・・という建前が生じてくるわけですね。で、皆、自分の正当性を示すために「実は」って感じで名字と別に源平藤橘を名乗るようになったと。
その為、結構、いい加減なことも多く、福岡藩黒田家では藩祖長政が日光東照宮に奉納した鳥居には藤原と刻んであるのに藩の公式発表では源となっています。これは長政没後、20年近く経って徳川幕府から系図や家譜の提出を求められたからで、担当者は長政が藤原を名乗っていたのことを知らなかったんでしょうね。
で、信長は名字が「織田」で氏は「平」(初期は藤原だったりするのですが。)、さらに、源氏を称していた家康は名字が「徳川」で、氏が「源」であるのに対し、秀吉は当初、平を称していたものの、関白に就任するにあたり五摂家の近衛家(藤原氏)の猶子になり、さらに、翌年、正親町天皇より源平藤橘にならぶ第五の氏「豊臣」を下賜されたわけで(これ以後、日本史に新しい氏が誕生することはなかったわけですね。)、つまり、秀吉は名字が「木下→羽柴」と変わり、氏が「平→藤原→豊臣」と変わったと。
したがって、厳密には、「織田信長、徳川家康」と言うならば「羽柴秀吉」と言うべきで、「豊臣秀吉」と言うなら「平信長、源家康」と言うべきなのでしょう。
ただ、秀吉本人が「豊臣」を気に入ってそればかりを名乗っていたという意味では現実使用姓優先という観点から間違いではないわけです。でも、氏であるなら、「とよとみひでよし」ではなく、「とよとみのひでよし」と呼ぶべきなんでしょうね。
(小説家 池田平太郎/絵:そねたあゆみ)2015-05

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